澤田美喜記念館

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  秋空や相模の浜の弓張りに

聖ステパノ学園講堂の舞台から大磯海岸を望む


 先日鴫立庵吟行の折、休館に当たり見ることの出来なかったのが、ここ澤田美喜記念館であった。
 以前にもこの記念館を訪れ、大変感銘を受けたと言うクリスチャンの仲間が我々にも是非見て 欲しいとのことで、館長の鯛先生と連絡を尽くしてくれて、夏休み中にもかかわらず、見学を許され、 お忙しい中を昼食を挿み長時間に渉って詳しい説明を受けることが出来た。
 まず、鯛先生に感謝したいと思います。
 また、館内の展示物等は撮影厳禁であったが、ここに掲載する写真は特別なご配慮で許しを得た ものである。この件に関しても本当に感謝いたします。
写真上 庭の切支丹灯籠。右 礼拝者が鳴らす鐘。
 少々年配の方ならエリザベスサンダース・ホームという言葉を聞いたことがあると思う。
 エリザベスサンダース・ホームは戦後の混血孤児救済を目的に、澤田美喜さんが私財を投げ打って 創設した、孤児院兼学校である。
 今でもこの敷地には、その精神を引き継いで幼稚園から高校までの教育機関もあった。
 当初は日米双方の政府からも迫害を受けたようであるが、このような人々のお陰で、今の平穏な 日本があると改めて感じることであった。


   万緑や堂のチャイムを高鳴らす

   堂守に蚊除け賜る礼拝堂

   ミサ壇の玻璃に茂りし大椿

 澤田美喜さんは、三菱財閥の創始者岩崎弥太郎の孫娘で、外交官澤田廉三氏に嫁ぐ。終戦直前には 三男の戦死にも直面。戦後混血孤児の救済と教育に情熱を傾け、2000人近くの孤児を育て上げた そうだ。
 また、結婚後キリスト教に改宗。隠れ切支丹に対する思いが深く、日本各地から遺物を収集した。
 今回拝見させて頂いて、これだけ、まとまって隠れ切支丹の遺物がここにあることに驚いた。
 写真にある踏絵の版木。見た目は銀製の鏡で古代の銅鏡と同じ作りのキリストの磔刑にも、 キリストの顔とも写し出される魔鏡など重要文化財ばかりである。


   身に入むや魔鏡が写す磔刑像

   仏体のマリアの像や桐は実に

   秋日差背ナにクルスの観音像

写真説明 上から三枚目は記念館二階の礼拝堂。建物全体が免震構造となっている。また、ガラスに 見える大木は椿で、花の時期は素晴らしいとのことだ。
次は魔鏡を太陽に当て、キャンバスに像を結んだところ。足の長いキリストの磔像が見える。 鯛先生は柔らかい布地に写すとキリストの顔に見えるとおっしゃて、実験して頂いたが、太陽光の 関係か、あまり変わらなかった。
右は刷り潰れた版木とその踏絵。別々に収集された。
下は、遠洋航海で使用されたらしい、お祈り用の飾りで、洗礼を授けている図。
大変珍しいもので、外部の人が写真に撮るのは二人目だそうである。感謝。



   磨り減りし踏絵の版木すさまじや


   水引の花や小さき礼拝堂

 澤田美喜さんの偉業は、混血孤児を混乱の世から一人でも多く救うと言う、止むに止まれぬ博愛 の精神で多くの命を救い、我々も感銘を受けるのであるが、同時にそのような孤児を作ることになった 根本の原因である戦争を二度と再び起こしてはならないと教えて呉れていることだ。
 もう一つの、隠れ切支丹の遺物収集にしても、信仰による衝突がいかに悲惨なことであるかの 歴史的事実を提示して呉れているのだ。
 にもかかわらず、世界はイスラム世界とキリスト世界の限りない衝突に突入している。そして あいかわらず、核兵器の拡大にしのぎを削っている。
 澤田美喜さんが一生を掛けて行ったこれらの行為を風化させてはいけない。
 戦争はいかなる理由があろうともしてはいけない。いかなる宗教も根本は博愛なのだ。
 そんな想いで大磯をあとにしたのであった。  完全予約制であるため、事前の電話連絡は必要不可欠であるが、記念館を訪れ、ぜひ自分の目で 確認してきて頂きたい。
 なほ見学者は相手のことを考えずに自分勝手な人が多く困ると嘆いておられた。
 見学の際にはご高齢の鯛先生を悩ませないようによく指示に従って頂きたい。
[了]
吟行2007、8、23

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