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佃島

せわしなくくらげうんがにうきしずむ

忙しなく海月運河に浮き沈む 


 名古屋の句友が用事で東京に来ると言う。あまり時間もないので、どこか東京駅近くで吟行したいとのことで、私も 以前より歩いてみたいと思っていた、佃島に足を向けた。
 有楽町線で月島で下車。佃大橋の手前を右折れしてぶらぶらし始めた。
 佃は3丁目まであるが、昔からの佃らしさは1丁目のなかに残っている。
 路地に赤い旗が2本立っている。この路地人がすれ違うとすれば、お互いが横を向かなければ通れない細さである。
 これが、佃天台地蔵尊の入口なのだ。この幅の路地が何本かこの辺にはある。金だらいが立てかけてあったり、佃煮用 の大鍋が干してあったり、生活臭のする路地である。
 地蔵尊は子育地蔵とも言われ、石に線刻で描かれている珍しいお地蔵さんである。さらにお堂の入り口には大きな銀杏 の木がある。屋根を突き抜けた遙か上には青々と葉が茂っていた。
 
花あやめ身幅に足りぬ佃路地

梅雨湿り子育地蔵の大銀杏

満潮の堀に稚魚群る夕薄暑

小えび追ふ子の白シャツの汚れゐし

 行き止まりの運河には小魚が群れ、地元の子供が手長えびを掬っていた。赤い橋が佃小橋である。
 この橋の近くに江戸小物の漆器屋があった。安女郎の部屋にありそうな、赤黒に塗った小さな鏡台なども置いてあった。
 海月の泳ぐ運河に沿って公園がある。何でか大きなメタセコイアが四阿の傍に一っぽん生えている。遠方を見れば、 聖路加病院のツインタワーが眩しい。
 隅田川に出ると川灯台を模した公衆トイレや佃島渡船場跡の碑などもあった。
 角にある住吉神社は、家康が漁師と共に上方から呼び寄せたものだそうだ。境内には、鰹塚や写楽終焉の地なる標識まで 建っている。よく理由はわからない。
 名前の由来ともなっている、本家、元祖で争う佃煮屋で小休止。車で買いに来ている人もいた。
 我々はここより、月島西仲通りで名物のもんじゃ焼きを食べる。少しずつしか口に運べないのでいくらでも食えそうな 気がした。
 その後晴海通りに出て、勝鬨橋を見学、タクシーで東京駅に出て、折角なので丸善で句会、解散した。

 万緑のメタセコイアや佃島

 佃煮の老舗の厨葭簾

 橋潜る水上バスや雲の峰

 梅雨雲や帆柱揺るる船溜

吟行日2006,06,06





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