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犬山(愛知県犬山市)



濁流の川に鵜飼の舫ひ舟

 私の所属する俳句結社「伊吹嶺」の全国大会が犬山城のそばの名鉄犬山ホテルで開催された。
 今回は、結社が勧進元となり、細見綾子の句碑を国宝「如庵」のある、有楽苑入口に建立の除幕式も翌日に行われ、 他の結社の主宰も顔を揃え、盛大に行われた。
 前日は大雨が降り天気が心配されたが、除幕式当日は快晴となり、末端会員の私も安堵した。
 大会の始まる前に有楽苑を吟行、除幕式閉会後に犬山城と山車の町、犬山をみてあるき。その晩桑名に泊まり、桑名 と金魚で有名な弥富で金魚の糶を見学、後半は別稿とし記してみる。

綾子句碑と如庵

 
 綾子の句碑はこれが第5番目なのだそうだ。私は金沢の尾山神社にある 句碑を知っているだけだ。今回の句碑は、犬山城を見上げる有楽苑の入口にあり、自然石の立派なものである。  献句の投句会があった。最初に目に付いたのが、葉桜だった。綾子の「桜咲きらんまんとしてさびしかる」の本歌とり を考えた。次には句碑正面の犬山城、これはみんなが目に付け競争が大変だ。除幕式を終える頃目の前を斑猫が飛んだ。 そして提出したのが3番目の句である。入選すれば良いが。
  万緑に葉桜ありてなほさびし

  青嵐や城見上げたる綾子句碑

  みちをしへ綾子の句碑へ輝き来

 有楽苑は、信長の実弟、有楽斉が1618年ごろ建てた茶室で国宝となっている「如庵」と隣接して建てられた有楽斉の 隠居所の旧正伝院書院が中心の茶庭である。日が照るかと思えばぱらぱらと雨が落ちるような日であったが、それだけに 庭の苔、皮を脱いだ今年だけの青は見事であった。
 藪蚊さえ恐れなければ、斑日のなかで鶯の声を聞いているのは本当に侘び寂びの世界である。
 もっともこの日は、俳人だらけ。書院で御抹茶を売っているおばさんには、藪蚊より困りもの。飲まない人はこの縁先に は座るなと、ぶつぶつ言っていた。

  苔の花木漏れ日捉へ柔らかし
つゆじめるじょあんのくろきこけらぶき

  梅雨湿る如庵の黒き柿葺

  一枚の皮を高みに今年竹

  如庵の軒にうるさき藪蚊打てり

  天清和如庵に掛かる朝の月

犬山城と山車の町

 有楽苑から10分ほどの小丘に犬山城がある。
 5月の爽やかな風に吹かれながら、女坂を登った。登り口には三光稲荷があり、笙の音が流れていた。もう一つの 神社からかも知れないが、お稲荷さんで聞いたのは始めてだ。
 同行の先輩は目が早い、落とし文をいち早く見つけた。自分のホームページのお便りコーナーの名前にしているのに、 無頓着なことであった。周りには榛の木や橡など、オトシブミ科の昆虫が好む木が沢山あり、道にいっぱい落ちていた。
 犬山城は国宝であるが相当に傷んでいるようだ。
 天守に登ると、部屋の床は軋むし、回廊は割れ目から下が見える。欄干は危険と書いてあるが本当に寄りかかれば、 崩れて落ちそうであった。
 トップの写真はその天守から木曽川を川上に見たものである。前日はもっと流れがきつく、中洲のように見える場所は 川縁に全くなかった。


  若葉風稲荷の赤き幟旗

  落し文拾ひつ歩む城の道

  丈草の句碑に歩むは天道虫

  板敷の軋む天守や梅雨の冷え



  夏つばめ電線高き山車の町

  呉服屋の深きところに窓若葉

  館涼し糸で操(あやつ)る裸木偶

  古茶受けて山車のことなど晩学す


 城を後にして、犬山の古い家並みの残る、本町通りを歩いた。
 山車(ここでは、やまと言う)が通れるように電線はえらく高いところに張られていた。観光者にとっては街路灯も いらない。確かに旧家はいくつかあるのだが、街並みとして古さが感じられないのが少し残念だった。
 庄屋の構えのからくり展示館では、昔の山車やからくり人形を見学、着物を剥いだ木偶を操れるように展示していた。
 犬山の町も京都と同じで間口は小さく、奥行きがある。途中で寄った旧呉服商の家もそんな造りであった。
 最後に現役の山車を飾ってある、「どんでん館」による。親切な館長でお茶の接待付で山車のあれこれ話を 聞かせてくれた。
   明日は桑名吟行だし、本日も桑名のホテルに着いてから句会がある。
 電車の中で上記の句を推敲しつつ目的地に向かった。





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