夏の本土寺と小金宿、東漸寺

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小金宿と東漸寺

 JR北小金の駅を本土寺と反対側に出ると水戸街道に出る。交差点には苔むした水戸街道の 道標が立っている。
 東漸寺を越してなお1qほど行くと、右側に史蹟小金宿旅籠「玉屋」がある。江戸時代は水戸街道 の江戸より4番目の宿として150軒ほどの集落であった。当時の家屋はこれ1軒で何もない。
 物珍しげに見ている我々の横をサングラスの若者の自動車が不思議そうに過ぎ去った。
 真夏を感じさせる太陽のもと、駅への道を引き返し東漸寺に足を止めた。



   白黴の張りつく梁の旅籠かな

   閉ざされし旅籠の間口夏の塵

   旱梅雨旅籠の庇波打てる
2007伊吹嶺10月号「伊吹集」収載

この寺は江戸時代は幕府の庇護うけ、明治時代は天皇から勅願所の指定を受けた大寺院だったようだ。 そのせいか紋は葵の紋である。
 勅願所とは、勅命により国家鎮護・玉体安穏を祈願した社寺のことである。
今回はここの学寮を借りての句会で皆満足そうであった。
 本堂の横には見上げるような柘榴の大木。 境内の菩提樹 は馥郁たる香りを辺りに撒いていた。

   龍天に登りし跡か花柘榴

   菩提樹の香の馥郁と六地蔵

   緑陰の学寮に持つ句座うれし

この項終わり
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吟行2007、6、16

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