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蒲郡(愛知県)
弁天へ日矢のいくすぢ淑気満つ
竹島
結社「伊吹嶺」に入ってから、毎年初旅は「伊吹嶺」の新年俳句大会に決定してしまった。
本部が名古屋であるために、大抵が豊橋から岐阜の間で開催されるのは致し方のないことである。関東の連衆の何人かは
これを利用して、翌日に普段はなかなか行けない所を吟行することに、これまたいつしか定着してしまった。
この初の旅は蒲郡に吟行しようと決まり、ご当地の伊吹嶺連衆に連絡を取ると喜んで案内して頂けるとのお話であった。
名古屋に宿を取り、翌朝蒲郡に着くと車を4台用意してくださり、改札で迎えてくださった。
私にとっての蒲郡は、年2回ほど注文する、金トビ麺の会社があるところ、子供の頃我が家の知り合いが当地にいて、
醤油の元のような、白飯に掛けて食べると美味しいものがある三河地方の海辺と言った知識しかなかった。
蒲郡の連衆に丁寧な解説付きの案内を受け、ご迷惑を掛けてしまったが、我々は心から楽しい吟行を1日過ごさせて
頂いた。まず感謝を述べさせて頂く。
神居ます島まで遠し空つ風
風花や遙けき丘の大師像
初凪や海光らせる雲居の日
最初に案内頂いたのが竹島であった。この島は藤原俊成が琵琶湖の竹生島より勧請した弁財天を中心に多くの神が祀られ
ている島で、小ぶりの江の島と言った趣があった。
石段下の櫨の実は潮風の所為かすっかり色褪せていた。中心の八百富神社から神社巡りの集団が大勢いたが神社で観音行
を上げている人がいたがあまり見ない光景だ。
島を回ると名古屋城の礎石を切り出した場所があった。左の写真である。島までの橋は387メートルとのことであるが
風花まじりの空っ風がきつく、大変長く感じられた。
また、浜の手前には藤原俊成の像があり、さらに遠くの丘の上には大きな弘法大師の像が遠望できた。
浜の上の丘は蒲郡プリンスホテルとなっており、上の写真はその庭園からの三河湾であるが、風もおさまり大変美しい
眺めであった。
この後、「やをよし」という明治36年創業の美味しい饂飩屋で昼食が出来た。
子の投ぐる餌に舞ひ翔つ冬鴎
枯れきつて櫨の実揺るる神の島
定置網の形あらはや浮寝鳥
安楽寺
重層山門の歴史を感じる寺へ案内して頂いた。三河安楽寺であった。
お大の方が祀られている伝通院は小石川にあり、このホームページでもどこかで紹介したと思うが、この伝通院と言う
戒名が、ここの住職によって付けられたものであるとか、ここが久松氏の菩提寺であり、お大の方の後添えであったなど
は今回知り得た知識であった。さらには、吾が父方の遠い親戚に徳川縁の久松さんと言う人がいたことも思い出した。
ことによると、蒲郡から戦後の物資不足の折りに何かを送ってくれたのが久松さんだったのかも知れない。
当時は先祖のことなど何も気にもしなかったし、今となっては総てが闇の中に消えてしまっている。
さて、個人的なことは置くとして、風邪気味の大黒さんの案内でご本尊の説明と奧の秘仏まで見せて頂いた。
これも、旦那寺としている伊吹嶺連衆いればこその計らいであった。
最後には、蒲郡在住の伊吹嶺の長老にもお会いでき、一日の蒲郡を振り返りつつ東京の連衆と新幹線に乗り込んだ。
山門の垂木すずやか恵方道
堂裏の暗く軋めり足裏冷ゆ
堂奧の凍てし襖に猿猴図
寒晴や古刹の堂の鬼瓦
屋根を守る狛の逆立ち冬ぬくし
持て成しの三河の人や室の花