真鶴
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三ツ石
宿に帰っても祭の興奮はなかなか治まらなかった。それでも3回目の句会をせねばならない。各自風呂に入って、興奮を
一七文字に集約させる作業に入った。
吟行の強みで即物具象の力強い句が多く、選に外すのに苦労したほどだった。
翌日は旅館がちょうど真鶴半島の中心ぐらいにあったので、先端にはバスにするか歩くか少し迷ったが、僅かに残された
原生林の森を歩くことに決めた。
富士山から流れた溶岩で固まった荒磯を打つ波の音を聞きながら、また名前も姿も解らない綺麗な鳥の声を聞きながら
2,30分も歩けば三ツ石展望台へと着く。
江戸末期の台場跡、冒頭にも書いた先端の3個の大きな溶岩、大きく広がる潮目のはっきりとした相模灘など、蝉しぐれ
の中にすばらしいパノラマを展開していた。
磯波の音に揺れをり藪茗荷
幕末の砲台跡や蝉しぐれ
花カンナ潮目の著き相模灘
真鶴の貴船祭は長年の歴史もさることながら、単に観光の為の祭でなく、町民の一糸乱れぬ祭への思いと言った物が
色濃く感じられ、我々を惹きつけたのだと思う。
老いも若きも、子供も年齢に応じて乳飲み子までもが祭に欠かせない物としての存在感があった。
鹿島踊り保存会もあるようだが、町にこの祭があるかぎり、この町を愛し、家族の絆を大事にする子供達が絶えること
はないように思う。
日本はそろそろ経済成長ばかり追うのではなく、日本らしさを取り戻す教育というか環境を育てれば未来の日本人は
紛れもなく世界一の地球人になれると思った。