東京駅から東北新幹線で仙台へ。ここから盛岡の龍泉洞(鍾乳洞)へ観光バスで向かった。
このコースはまづ北に向かい、北山崎のリアス式海岸を見てそこから海沿いに松島まで南下
するものであった。
どれほどの津波禍であたのか、この目で確かめる事が目的の筆頭であったが、その痕跡と
復興の難しさを見て改めてその破壊力に身震いするほどであった。
右の写真は栗駒山であるが、北上川の上に佇む南部富士の岩手山も良かった。しかし新幹線で
郡山の近くでは原発の汚染土が黒い袋で野積みされているのが散見された。
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みちのくや汚染の山に桐の花
'16年伊吹嶺8月号遠峰集収載句
空真青雪渓迫る南部富士
'16年伊吹嶺9月号遠峰集収載句
みちのくに淡き昼月野良の妻
'16年伊吹嶺9月号遠峰集収載句
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北上川を渡り、盛岡のナナカマドの花が咲く町並みを通り、白樺と水芭蕉の綺麗な岩洞湖で休憩。日本
三大鍾乳洞の一つである「龍泉洞」に立ち寄る。ここは先日の台風で痛ましい悲劇の岩泉町にあった。
これより、東日本大震災の被害地に入り、田野畑村のリアス式海岸の景勝地「北山崎」の夕景を見る。
三陸復興国立公園を南下して宮古の津波痕が背丈よりも高いところに残るホテルに宿を取った。
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津波語る被災の漁師やませ吹く
'16年伊吹嶺8月号遠峰集収載句
やませ吹く白き真さらの防潮堤
雀の子顔出す地震の校舎跡
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翌日は宮古から少し北上し、甚大な被害を被った田老地区へ向かった。建設中の大きく長い防潮堤の
上で一通りの津波被害と対策、復興を聞き、骨組みだけになった「たろう観光ホテル」の最上階まで
上った。当時のここからのビデオを見ながら、その同じ窓から今は静かな海岸を見つつ話を聞いた。
建設中の防潮堤でも同じ規模の津波が来れば、やはり決壊してしまうのではないか?むしろいかに
早く逃げることが出来るかを考えた町作りが必要に思えた。
何事も無かったような浄土ヶ浜で遊覧船に乗り、海猫と遊ぶ。
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バスでこれも被害の大きっかった大槌町、釜石、釜石観音などを車窓より眺めて、三陸に至る。ここから
やっと開通した三陸鉄道南リアス線に乗って盛(さかり)まで南下した。
一本松の陸前高田は雨が降ってきて、結局バスの中からであった。役場の司令塔や中学校など、ここは
まだ悲惨さの大きく残る光景が目に付いた。
この日の宿は気仙沼休暇村の大島で、フェリーで渡った。もちろんこの島も津波被害は大きく受けていた。
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背に日を受くる観音朴の花
'16年伊吹嶺8月号遠峰集収載句
津波痕著き断崖青葉風
'16年伊吹嶺9月号遠峰集収載句
朴散華命賭したる指令塔
'16年伊吹嶺8月号遠峰集収載句
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気仙沼も甚大な被害を受けたが、石油タンクの破損流出による火災が被害を大きくした。約一週間に渡り
燃え続けたのだ。気仙沼ではやはり災害復興の語り部に話を聞いたが、あいにく朝方は天候が悪く、あまり
写真も撮らなかったが、この後に行った松島も含めて自然の牙には人間何も出来ないことがよく判った三陸
紀行であった。
松島では瑞巌寺をゆっくり見学して、震災被害の方々に祈りを捧げ、緑雨に明るい木立にやっと癒やされ
て仙台から新幹線で帰郷した。
美味しい海の幸を十分味わい、最後は牛タン弁当を堪能出来たことも付け加えておく。
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明易や津波の痕を残す宿
'16年伊吹嶺9月号遠峰集収載句
五月雨に崩るる窟(やぐら)瑞巌寺
'16年伊吹嶺9月号遠峰集収載句
新樹光差す政宗の孔雀の間
'16年伊吹嶺9月号遠峰集収載句
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