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東山道(長野県)
野蒜生ふ長者屋敷の在りし跡
'10年伊吹嶺6月号遠峰集収載句
万葉ロマンの東山道
東山道とは、律令制の時代(西暦700年初期)に設けられた7道の一つである。
近江の瀬田(滋賀県)を起点に陸奥の多賀城(宮城県)までの路であり、約16qごとに駅家(うまや)が置かれて
いたそうである。ただ美濃から信濃に入る最初の駅家間は山道でもあり、約40qあって旅人を苦労させたようだ。
今回句友に案内してもらったのは、この大変な困難を極めた神坂(みさか)峠の美濃よりの場所であった。
東海道や中山道が発達したため今では忘れられた道となっているが、往時は防人が東国から西下したり、古事記や日本書紀
さらには、源氏物語や謡曲にも登場し、地名は歌枕となっている。
また日本武尊、義経や武田信玄、天台宗の開祖最澄も足跡を残している。
防人の万葉集や源氏物語などに思いを馳せ、謡曲の木賊なども思い出しながら、春霰に難渋しながらの吟行は楽しく、
実りのあるものであった。
信濃比叡本堂の「不滅の法灯」
春霰棚田に弾み消えにけり
春霞東山道を墨絵とし
黄砂降る信濃比叡の峡深し
'10年伊吹嶺6月号遠峰集収載句
月見堂より時節には木賊の茂る園原堂を望む
姿見てふ池は小さし蓬萌ゆ
ははき木の立ちし峠や鳥雲に
防人の征きし峠や黄砂降る
'10年伊吹嶺6月号遠峰集収載句
炭焼き吉次伝説の姿見の池
板張りの小屋が社や春寒し
最澄の像の緑青山ざくら
謡曲の木賊の里や鬱金花
'10年伊吹嶺6月号遠峰集収載句
2千年以上の杉や橡の大木がある神坂神社
春嵐滝吹き曲げて吹き曲げて
底深き芽吹きの渓へ刻の鐘
蕗の薹茎立つ信玄火葬塚
'10年伊吹嶺6月号遠峰集収載句
強い風に滝は吹き飛ばされていた
最後に信玄終焉の地と言われる長岳寺に着く頃には、霰も黄砂もなく晴れ間も見える天気に回復した。
長岳寺は阿智駅家の近くであり、我々が最初に行った、神坂神社が海抜1040b、ここが540bとのことだから
ずいぶんと下ったところにある。昔の旅人がこの山道を難儀したかが本日の天候からも伺われた。
信玄の亡くなったとされる場所も幾つかあるが、信玄火葬塚の側には、もう蕗の薹が茎だっていた。
信玄火葬の供養塔が見える長岳寺
あしひきの山行きしかば山人の我に得しめし山づとぞこれ 万葉集(防人歌)
我が妻はいたく恋ひらし飲む水に影さへ見えてよに忘られず 万葉集(防人歌)
その原の山をいくかもなけくまに君も我身もさかり過行 大伴家持
木賊刈るそのはら山の木の間よりみがかれいづる秋の夜の月 源 仲正
その原や伏屋に生ふるははき木のありとはみえてあはぬ君かな 坂上是則
帚木の心を知らで園原の道にあやなく迷ひぬるかな 源氏物語(光源氏)
数ならぬ伏屋に生ふる名のうさにあるにもあらず消ゆる帚木 源氏物語(空蝉)