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海野宿(長野県)

柳散る戸毎卯建の海野宿
海野宿は中山道と北陸道を結ぶ北国街道にある宿場である。佐渡の金の輸送、北陸諸大名の参勤交代、善光寺への参詣客などで賑わった。
明治時代になり、宿場から養蚕へと移り変わり、卯建のある建物群が歴史的景観を呈している。
昭和62年に「重要店頭的建造物群保存地区」に選定された。また、左の白鳥神社前の千曲川は木曾義仲が挙兵した、白鳥河原でもある。
卯建は江戸時代の本うだつと明治期袖うだつが混在している。屋根の上の小屋根は気抜きと言われ、蚕の飼育のためのもの。
秋気満つ旭将軍挙兵の地
豊の秋農小屋にある鼠取
伊吹嶺14−1遠峰集収載
海野宿の馬屋は狭し花木槿
木曾義仲の挙兵は、ここ海野氏を中心として旗揚げされた。海野氏はその後鎌倉幕府でも御家人として重んじられた豪族だ。ここは宿場町
でもあり、中央の文化が早くから入り込み、学問、琵琶歌曲、俳諧が盛んであったそうだ。資料館の旅籠を思わせる文机の上には、奥の細道が
さりげなく置かれていた。
明治になると養蚕が盛んになり、旅籠造りの家々は大きな場所を取る養蚕農家へと変貌した。
この囲炉裏部屋はそのどちらにも利用されたと思われるが、資料館の一室であり、他にいろいろな江戸から明治期への諸物が保存されていて
面白かった。
萩の風揺らす旅籠の自在鉤
天高し明治の卯建江戸うだつ
秋灯し奥の細道文机に
海野宿は千曲川を背に背負っている。最初に書いたように、義仲がこの白鳥河原で旗揚げした。秋の逆光が芒と共に思いを深くして
くれた。
写真には紹介していないが、海野格子と呼ばれる格子組みが二階には施されていた。また、自分は気がつかなかったが、
夕過ぎの臼の谺の寒さかな 一茶
の句碑もあったようだ。
卯建は他にも行ったことがあり、それほど珍しいとは感じなかったが、ここの卯建は二時代が併存して残っており、それなりの見所では
あった。
街並みは妻籠や馬籠ほど長くはないが、見物人も向こうほど多くはなく落ち着いた旅情を感じさせてくれた。
翌日は上高地を散策すべく美ヶ原の藤沢山荘に向かった。
青すぎる千曲の川面秋思濃し
伊吹嶺14−1遠峰集収載
頭の欠けし馬頭観音昼ちちろ
街道に小りんご熟るる海野宿